身曾岐神社造営の理念

日本民族が太古から日本の風土の中に生れ育ち暮して気付き悟った人間としての生き方、日本の心、それを神道という。
なればこそ神道とは「天地自然を教典とする生命の信仰」と、キリストの愛、佛教の慈悲にも比して首唱する。信仰とは大切なものを大切に生きる人間としての生き方である。
故に改めて神道とは、春夏秋冬と変り働く趣豊かな日本の自然を教典として悟り得た、生命を大切に生きる人間としての心と生き方である。
その心と生き方を、物語り、祭祀(まつり)に止揚し、日本文化として語り行い伝えて来た。そして中国伝来の漢字を身につけた時、この心と生き方を日本史上最初に意をもって書き留め伝承したのが古事記です。日本の教典です。

未だ戦争、殺人、病、事故……、死への恐れと戦さの虜から開放され得ぬ世界人類、その今なればこそ、日本そして世界に向って伝統の日本、神道を発信せねばならぬ秋です。
古神道本宮身曾岐神社は、如斯時代の覚醒の中に、日本の中心八ヶ岳南麓の松籟漂明媚の地に、伝統の日本、神道を二十一世紀の世界、就中日本全土に向って発信する聖地としてその神域を造営し、千三百年八十四代に亘る古神道(伯家神道)の道統と共に東京の東上野から遷座をした。時恰も平成元年。

造営に際しては、古事記の思想を神域の神々の佇いの姿に顕現することを旨とし、神殿群神域の軸を南北に百七十八度として、午前の昇る太陽の最高の光と気を神域に受け留める形を調え、且つ神域を神々の留る「天原」と命名し、その深奥に自然の神々と対峙通合する磐境を結界して神域の芯となす。

社殿群の中心には神道神学の実践の核となる禊殿が据えられている。
神代にイザナギの神が黄泉の穢れにふれ、川の流れに浸って「みそぎ」をなさる時「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬遅し」と云われ、中つ瀬に浸って清浄となられ、全ての生命の太祖となられる天照太神を禊のなかに生みなされたとの伝承に慣い、瀧から上中下の水流の瀬を設け、その中つ瀬に禊殿が居置して在る。

下つ瀬の池の上には神楽殿に替って能楽殿が佇う。神楽を始原とする日本の芸能は、能楽に至って完成する。
二十一世紀の信仰は、完成品を以て神に捧げ、世界に発信するを良しとする。能祖世阿弥によって六百年前に完成された能舞台の全様を完全な姿で再現した日本隨一の能楽殿である。下つ瀬の静かな水の面に影を落すその姿は、正に完成された日本の美の神髓を顕示する。

神域の中央に架る神橋が、神代とこの世を結んでいる。

神は火水(かみ)なり。総ての生命は光(火)と水のむすびの働きの中に生れ育つ。生命を大切に生きる人間としての生き方は、光(火)を尊び水を大切に生きる生き方でなくてはならぬ。光(火)を祀る火祥殿、水を祀る水祥殿は、古事記が伝える生命の信仰、日本民族の生き方の伝統を今の世に覚醒させる神の佇いである。

身曾岐神社は古事記の世界観を示して今に在る。

宮司 坂田安儀