H21会報誌インタビュー 観世流宗家におうかがいしました

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2019.05.22

H21会報誌インタビュー 観世流宗家におうかがいしました

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本記事は、身曾岐神社崇敬奉賛会の会報誌、平成21年版からの転載です。

◆特別インタビュー
観世流 宗家 観世清和師

平成18年の例祭宵宮で能「羽衣」を奉納いただいた観世宗家の観世清和さんにご登場願いました。

宗家にとって神仏とのこ縁はどのようなものですか

日本の伝統文化と神仏とは、切っても切れないものだと思います。

私の家も七百年続いている家ですので、私の場合はどちらかといえば、何か人にさせられての神仏の御加護とか御縁とかいうものではありません。この観世の家に生まれたと同時なのです。

身曾岐神社とはどういう場所ですか

観阿弥・世阿弥の頃の能というのは、本当に自然の中で能を演じていました。
当然神様や仏様に捧げるものであって、たまたま其処に俗世の人達が陪席をしていて見ていただけです。

芸能・芸術の起こりはすべて神様や仏様に捧げるものです。

ですから身曾岐神社の、鬱蒼とした森の中の水の上に浮かんだこの舞台というのは、まさに、観阿弥・世阿弥時代を初彿とさせます。

今現実には能楽堂というのは覆堂(さやどう)の中に入ってしまっています。
ですから、能舞台を御覧になった方というのは不思議な感じを覚えると思います。屋内なのに屋根がもう一つある、どうして、と。
其れは何故かと言えば、本来外にあったものだからです。

常に自然回帰ということではありませんが、能は、自然の中の事象と一体となって、演じられていた訳です。
太陽の光線が舞台に射し込んで。夜の帳が来れば、煙々とした月が上がり、星が瞬いて…。

舞台を勤める者と致しましても、つくづく、身曾岐神社の能舞台は素晴らしい舞台だと思います。

また、維持管理をされるのは大変で、一筋縄ではいかないと思いますが、どうぞ末永く良い御舞台を子々孫々にお伝え頂く為、微力ではございますが私も応援しております。

全国的に見ましてもこのような環境の能舞台は稀であると思います。

お能と神様とはどのようにつながるのでしょうか

能と神様とは私は切っても切れないものだと思います。
中世という時代背景を見たときに、そこには、神仏との御縁とか御加護というものが大前提となって、その上に、一曲の能はつくられていると思います。
どんな曲でもどこかで、神様や仏様のことなどが必ず出て来ます。
出てこない演目は多分無いと思います。
やはり最後は、神様、仏様の処へゆくのです。

実際私共は、面(おもて)というものを鏡の間ー身曾岐神社にもございますねーで かけます。
大きな鏡の前で気持ちを落ち着けて、いよいよその舞台へ出る間を待つ、その時にこの面をかける訳ですが、その時に必ず「拝礼」を致します。
これは、面自体が御神体というか、そのような意識なのです。
そのような時代もあった訳です。

それから実際、面をかけるといった時に、「では、面をいただきます」と言います。
面を「つけます」とか「かけます」とか言うのではなく、「いただく」と言います。
敬語を使います。

拝礼し、いただく。
これは色々な意味があって、ある方は、この自分のシテの想いや気持ちをその面に入魂をする、要するに変身するという意味があるとおっしゃっていましたが、私は、それだけではなくて、やはり御先祖様に対するひとつの畏敬の念の現れだと思います。
無事に舞台を勤めさせていただきたい、という想いなのです。

ですから、面をかけるという行為を「いただく」というのです。

型です。
型から入っていくことだと思います。
無宗教だ無信仰だと言っていても、能楽というこの伝統文化というものの中で生きていく為には、知らず知らずに行っている訳です。
今の、俺は無宗教だなどと言っている若者ほど、演能する時に行っています。

宗家が常に大事に意識されていることは何でしょうか

芸術・芸というものに対する目、怖さというものは、失ってしまえば終わりです。
如何に謙虚にいくかということです。
其処が大事なのではないでしょうか。

やはり、自身を磨くということは己に課せられた事ですから。
人がやる事ではありません。

現代に於けるお能の価値とは何でしょうか

物語性ということだけではなくて、これは宗教というものに通じるかどうか解かりませんが、人間の生と死というものを、或いは、愛だとか恋だとか、人間が生きていく為の決意などの晋遍的なテーマを常に問題提起しています。
それがやはり夢幻能の一つのあり方だと思います。

やはり世の中が平和であって欲しい。
平和でなければ、愛も恋も無いわけです。
或いは人を信じる気持ちとか、或いは何か新しく芽吹いて、この世に生を受ける、でも、何か力尽きて死というものを迎えるとか。
或いはその宇宙観であるとか。

観阿弥や世阿弥が目指したものは、そのような夢幻というもので、それを非常に大事にし根底に置いています。

能は、七百年前に出来たものですが、それだけ普遍的なテーマを扱っているわけです。
演じているのは現代人ですから。

人間が生きていく為の普遍的なテーマというのはいつの時代でも同じだと思います。
だからそのような素朴な気持ちというのは、失っては駄目だと思います。

最後にひと言お願い致します

演能会だけに足を運ぶだけではなく、やはり神社に足を運んで、そして歴史的にも、この伝統的な日本の文化というものに触れ、常につかず離れず、という立場をとることが大事なのではないでしょうか。そのような心がけがとても大事だと思います。

(ありがとうございました。)

(平成二十年一月三十一日、観世能楽堂を訪ねインタビューをさせていただきました。)

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