【境内案内1】 みそぎに秘められたヒント – 本殿 –

それでは、先に、おまいりなさってください。

神さまは、天照大神さまをお祀りしています。
天照大御神さまとも言います。

それでは、少しくお時間を頂いて、身曾岐神社の由緒などお話しさせていただきます。

こんにちは、

今日はどちらから、お越しになられましたか。

 ・・・

それは、はるばる、ようこそ身曾岐神社におまいりいただきました。

本殿を含め三つの御殿が
並んでいる

今、お参り頂いたところが、身曾岐神社の本殿です。
三つ、お社があります(並んでいます)ので、私たちは、三殿、三殿と呼んでいます。

中央が身曾岐神社の御本殿。
天照大神さまをお祀りしています。伊勢の皇大神宮、いわゆる、内宮でお祀りされている神さまとご同体(同じ)です。

そして、向かって右側のお社は、この身曾岐神社創建に関わる、私から言いますと、先輩神職の方々のおみたまをお祀りしています。

向かって左側のお社は、この身曾岐神社の崇敬者の方々のご先祖さまのおみたまをお祀りしています。

唯一神明造り―簡素で美しい建物

建物は、唯一神明造りの建物です。特徴は、左右に一本づつ地面から屋根までまっすぐにのびている柱があります。この二本の柱を棟持ち柱と言いまして、この二本の柱で、棟、すなわち建物全体を支えています。

伊勢の御正殿と全く同じ造りです。
伊勢神宮の方は、お屋根が茅葺き、こちらは、板葺き、大きさは、伊勢の方がはるかに大きいですね。その違いだけです。
建物の造りは全く同じです。

弥生時代に「高床式の倉庫」というのがあったと習いましたが、全く同じ形式です。

身曾岐(漢字)は当て字

ここは、身曾岐神社と言います。書く上では、漢字を使っていますが、漢字は当て字です。漢字の意味はありません。音だけ使っています。
「みそぎ」という言葉が大事なのです。
つまりこの神社は、「みそぎ」が大事であるということを伝えている神社です。

きれい・きたない、その境界に
みそぎがある

「みそぎ」は、多くの方が、水のあるところ、例えば、川とか、海とか、滝とか、そのようなところで、水を浴びて身を清めることだと捉えておられます。
それは、決して誤りではないのですが、「みそぎ」をもっと簡単に、ひと言で言い表すならば、「みそぎ」とは「きれいになる」ことです。
これは、女性の方が、お化粧をしてきれいになるということではありません。

「きれい」の反対は、「きたない」ということですが、
この「きれい」「きたない」ということが私たち日本人が持つ特有の価値観です。

人を罵る(ののしる)言葉に、「きたないやつ」という表現があります。

誰か知り合いから、「おまえ、きたないやつだな。」と言われたら、どんなふうに感じますか?

とてもショックですよね。

これは、単に悪い奴と言われるより、もっと悪い。人間として風上に置けない奴、あなたは人間ではないと言われるに等しいという意味合いになります。

昔話なんかを見ると、悪い奴というのは、どこかユーモラスな存在であったり、かえって人気者であったり、憎めない存在として描かれています。
なので、私たちは、西洋のように、物事を善悪(善し悪し)で見ず、きれいかきたないかで見ている訳です。

きれい・きたない 
どうすれば分かる?

では、きれいかきたないか、自分がきれいなのかきたないのか、どのようにすれば分かるのでしょうか?

 ・
 ・
 ・

これは、簡単なことで、鏡に自らの姿を映してみれば分かります。

例えば、ほっぺたに墨がついているとします。

すると、鏡に映せば、そのように映ります。

「あっ!ほっぺたに墨がついている。」と。

そのときどうしますか?

 ・
 ・
 ・

鏡、拭きますか?

絶対にしない、鏡は絶対に拭かないですよね。

鏡ではなく、自分のほっぺたを拭うわけです。

では、こういうことありませんか。

家で、ご主人と喧嘩になった。

私は悪くない。あなたの方が悪いんじゃない。

あるいは、職場で困ったことが起きた。

働く環境が悪いんだ。とか。

これ、鏡を拭いていることと同じだ!ということが分かりますか。

これをやっている限りは、事態は改善しません。絶対に、問題は、解決には至りません。

確かに、相手に非があったのかもしれません。環境が良くないのかもしれません。
ところが、なぜそのようなことに縁づいたのか、その観点が全くありません。

つまり、鏡を拭いているばかりでは、鏡はきれいになるかもしれませんが、事態は好転しないのです。
まずは、自分を見つめ直すことから始めないと。

超重要! 何事も他になく、己にあり

それで、このみちでは、「何事も他になく、己にあり。」と伝えています。

日本人のいさぎよさ、いさぎよい生き方というのは、こういうところから生まれているのです。

神社のシンボル ― 鏡

神社のシンボルは、鏡です。どこの神社に行っても、必ず鏡があります。
あなたのお家の神棚にも鏡があるはずです。

それは、ただ置いてあるものではありません。いくつもの意味を持っているのです。
そのひとつがたった今、お話ししたことです。

みそぎの淵源、そして、みそぎをすればどうなるのか?

イザナギの大神さまは、黄泉の國から戻られたとき、自らお気づきになって、みそぎをされました。
そして、みそぎをされる中でたくさんの神さまがお生まれになります。

この場面、最後は、次のように描かれています。

左目を洗ってアマテラス大神さま、右目を洗って月読命さま、鼻を洗ってスサノオの大神さまが生まれます。この三人の御子神は、とりわけうるわしい御子神でした。

イザナギの大神さまは大変お喜びになって、自分が今まで治めていた國をこの三人の御子神におまかせになって天へと還って行かれます。

つまり、みそぎをすると、あとをすべて託せるほどの運びがあるのだということが描かれているのです。

スゴくないですか?

「みそぎ」こそが運びに預かれる唯一の手立てなんだということです。

ここは、みそぎ 神社

世の多くの神社さんが、神社に祀られている神さま(御祭神)の御神徳を問題にします。

例えば、大国主の大神さまを祀るお社。うちの神さまの御神徳は縁結び。なので、良縁にめぐり逢いたいのであれば、うちに来て神さまに手をあわせなさい。というような感じ。

ところが、ここ身曾岐神社は、天照大神をお祀りしているから、どうの、こうの、とは、決して言いません。

「みそぎが大事」

そのように言っています。

神社に籠もって修行ができます!

さて、少し振り返ってあちらを見ていただくと、大きなお屋根が連なっています。

そこは、畳にして百畳ある道場になっています。
修行のための道場です。

月に一度、神道の修行を執り行っています。一泊二日。お泊まりいただいて、というか籠もっていただいて、みそぎ・はらいの修行ができます。
水をかぶる/あびることだけが、みそぎではありません。
そのような行は、全くありませんので、ご安心ください。
日本の精神伝統、その中に伝わる行と教えを習い学ぶ機会です。

ご興味ご関心のある方は、どうぞお尋ねください。

では、お隣の御殿「火祥殿」をご案内します。