身曾岐神社の身曾岐(みそぎ)とは、
「きれい」になることです。
この身曾岐神社は、御祭神・井上正鐵(いのうえまさかね)翁がお伝えになった
古神道の奥義「みそぎ」の行法並びに徳を広く皆さまにお分けする神社です。
そもそも、身曾岐神社の身曾岐は当て字、音だけ使っています。「みそぎが大事である。」と伝える神社です。
みそぎとは、
「きれい」になること
を指します。
もちろん、滝に打たれたり、海や川で水をかぶったりする行も「みそぎ」ですが、神道では目に見えない心や運命までも「きれい」にして、1日1日を楽しく、明るく、生き生きと過ごすことを何よりも重んじています。
日本人は何事も「きれい」「きたない」を考え方の根本に据えています。たとえ仕事で失敗しても、大きな災難が降りかかっても、ある期間、しっかりとみそいで「きれい」になれば、新たな人生を踏み出せると考えました。
私たちが健康でいられるのも、よき縁に結ばれるのも、学業が成就するのも、事業が繁栄するのも、すべて「みそぎ」から。まず「みそぎ」を行い、きれいな心と体になってこそ、すべての願いは叶うのです。
どうかこの身曾岐神社に参られて、1人でも多くの方が心も体もきれいになり、日々を楽しく、明るく、生き生きと過ごされるよう、ご祈念申し上げます。
心(こころ)と身体(からだ)を整える「みそぎ修行」は隔月で執り行なわれています。
古神道とは
古神道の「古」とは、本当の、本来の、本物の、という意味を持ちます。よって、古神道とは、神道のいわば核であり、日本人の信仰、生き方の原点、日本人の血の中にある思想、というべきものです。
ですから、ここ身曾岐神社では、「神道とは、この日本の天地自然を教典とするいのちの信仰である。」と伝えています。
それは私たち日本人の信仰、生き方の原点であり、はるか縄文・弥生の時代から、この日本という地で、天地自然の中に生きながら、営々と育まれてきたものです。
私たち身曾岐神社では、この古神道の奥義に則った火の神事、水の神事を行い、神様の徳をお分けしています。
由緒 ならびに、御祭神
御祭神
天照太神(あまてらすおおかみ)―いのちの太祖(おおみおや)
天徳地徳乍身曾岐自在神(てんのとくちのとくひつぐみそぎかむながらのかみ)―神道中興の祖・井上正鐵翁
御祭神・井上正鐵翁は、幼少より学徳すぐれ、医学、国学、観相学を始め神儒仏に亘ってその深奥を究め、世の人々の 幸せを只管に願って、生涯を救世済民に捧げられました。
天保5年(1834年)天照太神の神示を得て、太古からの神道の中枢・白川神祇伯王家に伝承された神道の奥義を悉く 相承し、息の行法を以て神道の極意を伝え、天地自然を教典とする生命の信仰ー神道を人間至福の道として再興されました。
明治12年(1879年)神道中興の祖として、東京・ 東上野に井上神社として祀られ、その信仰は広く世の人々の 崇敬を得て、今日に至っております。
昭和61年(1986年)日本の中心、此処八ヶ岳南麓の清緑の地に、神社号を「身曾岐神社」と改め、神道の根本霊場たる、古神道本宮として遷座をしました。
天地とともに生き合い、自然をもって教典とする〈生命の 信仰〉、古神道。千載にわたり白川神祇伯王家に伝えられて来た〈神ながらの道〉ーその真髄を、神道中興の祖・井上正鐵翁への神伝を経て、身曾岐神社はことごとく相承しています。
令和4年(2022年)井上正鐵翁の御事蹟を広く顕彰するため、翁の御霊を祀る井上神社が身曾岐神社境内に摂社として再建されました。
現在、古神道本宮身曾岐神社は、古神道の信仰、神学、神事、行、文化の総てを伝承し、人々にお伝えしております。
天徳地徳乍身曾岐自在神とは
御祭神・井上正鐵(いのうえまさかね)翁は、天の徳、地の徳、そして全てのいのちの太祖(おおみおや)である天照太神様の偉大な徳を取り次ぎました。
「天徳地徳乍」の「乍(ひつぐ)」には、千年でも二千年でも永遠に消えることなく、信仰の火を灯し続けていくという意味が込められています。
御祭神は、「みそぎ」によって目指すところは、この世で自分の願いが全て叶う状態になること、自由自在の身「自在神」になることだとされました。
私たちは、御祭神の御徳を頂きながら「みそぎ」に励み、天地自然と一体になることによって、本性に立ち戻り、この世で生きながら神になることができるのです。
白川神祇伯王家とは
わが国が律令国家としての歩みを始め、花山天皇の御代より明治維新までのおよそ800年間、神祇官の長である伯(はく)を白川家が代々世襲しました。伯家(はっけ)とも伯王家(はくおうけ)とも言います。
律令制の特徴は、二官、すなわち、神祇官と太政官が置かれたことです。神祇官とは、もともと政治を司る太政官よりも上の位に置かれ、国家の祭祀を司る官庁でした。
そのため白川家が伝承し忠実に継承する祭祀のやり方や行法は、古代より朝廷を中心として行われたもので、天皇御一人のためのものであり、秘儀でした。
当神社の御祭神・井上正鐵翁は、江戸時代(天保年間)、白川家に入門し、そこで、神道の教えや行と出会われたのです。