日本一の能舞台だと思います。

「日本一の能舞台だと思います。」

本記事は、身曾岐神社崇敬奉賛会の会報誌、平成28年版からの転載です。

身曾岐神社の例大祭は、毎年八月四日。宵宮の三日には、宮中の御神楽の儀を模してお能を神様に奉ります。『八ヶ岳薪能』と銘打ち、既に二十五回を数えました。この『八ヶ岳薪能』で、いつもお世話になっております武蔵野大学名誉教授の増田正造先生にお伺いしました。

『八ヶ岳薪能』は、能舞台の祓い清めの式の後、増田先生の解説に始まります。開口一番、「今宵もまた日本一の能舞台で日本一のお能が見られる時がやって参りました。」 

お話は、その故を深く受けとめる機会となりました。

先生は、インドネシア・バリ島への能・狂言の派遣事業にもかかわっておられ、海外交流のお仕事も多くされておられます。

お能と神さまについてお教えください。

能ほど暗い世界を描いた演劇もないと思います。おそらく地獄と正対した唯一の演劇ではないでしょうか。そこでは人間の原罪に近いものが追求されています。

しかし、一方ではめでたさ、神の祝福が大きな柱です。

「翁」はいわば能の原点で、舞台で能大夫は白い翁面をかけて神となり、天下泰平、国土安穏を祈るのです。続いて大地を踏みしめつつ活性化の舞を舞った三番叟は、黒い翁面をかけて五穀豊穣をことほぎます。神聖な「翁」を勤める役者は精進潔斎の日々が課せられているのです。「翁」は催しの一番最初に演じられる決まりです。

「翁」に続いて脇能と呼ばれる神をシテとする能が演じられるしきたりは、第二次大戦後に、「翁」の単独演奏が許されるようになりました。八ヶ岳薪能の二十周年記念も「翁・石橋」の番組でした

一日の終わりには、また脇能など祝福の能を演じ添えることも決まりでした。

どんなに暗い、深刻な演目が演じられようと、一日の催しはめでたい祝言で終わらなければならないというのが、日本の芸能の根本の考え方です。

今日でも祝言能の代わりとして、千秋楽を謡い添えるのが決まりです。能が終わり囃子方が退場し始めると、「千秋楽は民を撫で。萬歳楽には命を延ぶ。相生の松風。颯々の声ぞたのしむ颯々の声ぞたのしむ」。「高砂」の最終部分です。ちなみに大相撲の最終日を千秋楽と言うのは、ここからきているのです。

一日に能一番か二番という催しが多くなると、ドラマ性の薄い脇能は上演回数が極端に少なくなってしまいました。それでも脇能と、三番目物と呼ばれる女性美の幽玄能は、今日の能役者の心情と稽古カリキュラムの大きな二つの柱です。

神の神聖さ、荘厳、爽やかさ、厳しさ、透明感、祝福の豊かさは、能の根本理念そのものだからです。

日本の精神伝統とお能とはどのようにつながるのでしょうか。

日本人ほど「心」を根本に置いた民族は、世界にも稀なのではないでしょうか。武道から茶道、花道に至るまで、技術ではなく心が根本にあるからこそ、「道」の文字がついているのです。

能の大成者・世阿弥は、能の究極として「心より出づる能」を設定しました。ドラマの展開も、華やかな演技も昇華され、ただ淡々とした心の深い透明感があるのみ、至高の演技者と目利きとの出会いにだけ可能な世界と世阿弥は説いています。PRで恐縮ですが、私は昨夏に集英社新書『世阿弥の世界』にそれらのことを書きました。世阿弥の伝書は能の秘伝書であると同時に人間の生き方の指南書でもあります。

世阿弥の最初の執筆が「花伝書」とも呼ばれる「風姿花伝」、彼自身こう言っています。「心より心に伝ふる花なれば風姿花伝と名づく」。世界的なアートデザイナー石岡珠子は、これを世界で一番美しい言葉として、自分の作品集を『石岡瑛子風姿花伝 EIKO of EIKO』としました。映画の「白雪姫と鏡の女王」の衣装を担当した人です。

身曾岐神社の能舞台はいかがでしょうか。

私は日本一の能舞台だと思っています。神と芸能は切り離せず、日本の芸能の根源は能だから、身曾岐神社に能舞台を建てるよう宮司に進言したのは、友人の武智鉄二さんと聞いています。歌舞伎と能と狂言に演劇史に残る仕事をした素晴らしい演出家でした。

設計の榛澤敏郎先生は、東京目黒の十四世喜多六平太記念能楽堂を手がけられた方で、国立能楽堂をなぜ此の人に頼まなかったかとは多くの声でした。水の上のロケーションが素晴らしい。工事途中で水が湧き出したと伺いました。年数を歴て、背景となる樹木も見事になりました。集う人々はもちろんですが、ここで奉納する舞台人はどれほど心嬉しく、神に護られた実感を得ることでしょうか。

時代の移り変わりにお能はどのように応じていくのでしょうか。

しかし時代は変わります。国立能楽堂の黒川能招聘公演の時でした。黒川能は五流とは別に雪国の農民の継承する能で、春日神社の氏子は同時に能役者である義務を負っています。神社には上・下座の左右に橋ガカリがありますが、どこで演じようと彼らは神に捧げているのです。橋ガカリから登場した地謡方と囃子方は座に着くと深々と礼拝をいたします。

隣にいた文化庁高官夫妻も名ある歌舞伎と能の評論家も皆、手を叩くのです。オバサマ連は「なんと丁寧な人たちなのでしょう」と。

こんなところから世の中が間違っていくのかと、悲しい思いをしました。

古来、神への捧げ物に芸能は不可欠の存在でした。

観客を楽しませるのが目的ではなく、神へ奉納された芸を人々がお相伴にあずかるのです。

その原初の精神をそのまま現代に伝えるのが、申しあげている黒川能、。信仰と芸能と農業の三位一体化した姿は、バリ島とまったく相似形です。梅若六郎(玄祥)さん、辰巳満次郎さん、山本東次郎家、そして黒川能の若者を、バリ島にお連れして何回も芸能交流を図りました。

アーティストとなった五流の能役者の血の中にも、神と共にあるこの心は、今も色濃く流れているはずです。

最後に、身曾岐神社を参拝される方にメッセージをお願いします。

身曾岐神社に参拝された方々は、本殿と直角の位置にある能楽殿に向かって、「すごいなぁー」と、必ず言葉を漏らされると伺っています。

能舞台は現世とは別の世界、ひとつの小さな宇宙空間です。橋ガカリは異次元と現世をつなぐ架け橋なのかもしれません。能舞台そのものの哲学を感じとっていただきたい。そこにも身曾岐の神が鎮座ましますであろう、清らかで厳しい神聖な空間の奥深さなのです。能が演じられていなくとも、能舞台の存在感の大きさの理由はそこにあります。

身曾岐神社の位置に鉛筆をあてて日本の国を持ち上げると、水平を保つそうです。つまりこの神社こそが日本の中心。そこには古神道の心が赤々と燃えているのです。

(ありがとうございました。)
(平成二十七年十月二十三日、品川御殿山にてインタビューをさせて頂きました。)