【境内案内3】 日本随一の能舞台である理由 – 能楽殿 –

一年に一度、ここで、神さまにお能を奉ります。
身曾岐神社の一年で一番大きなお祭りのときです。

毎年 8月3日

お祭りは、八月の三日、四日と二日間にわたって執り行われます。
四日が本祭。前夜(三日)が宵宮となります。
その宵宮に、神さまにお能を奉るのです。

ですから、この能楽殿は、神事で使うので、本殿から続いた構造となっています。

橋があって、玄関、回廊を通って、鏡の間です。

鏡の間には、文字通り、大きな鏡が設えてあって、その鏡の前で、能楽師は自らの霊魂を鎮め、衣装をまとい、面をかけて、出て来ます。

今は、木の扉が閉まっていますが、お能のときは、幕が下がります。その幕がパッと上がって、能の演者が出て来ます。

橋がかりがあって、能舞台、右手の小さい部屋は、貴人席(きにんせき)と言います。
貴人とは、貴い人と書きます。

今風に言えば、ロイヤルボックスと言えば、わかりやすいでしょうか。

手前の大理石のところが、神さまのお席。神さまは、目に見えませんが、当日はそこにお招きして、そして、芝生、この階段、続きに、十段ぐらいひな壇を作ります。

すると、1300人ぐらいの方が、座ってご覧頂けるちょっとした野外小劇場のようなかたちとなります。

池でなければならない理由がある

池の上に鳳凰が羽を広げて佇んでいると形容されるとても素晴らしい能楽殿です。

この池は、趣向を凝らしてのものではありません。

能舞台の下は、池でならない理由があるのです。
分かりますか?

お能っていつの時代のものですか?

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お能は、今から650年前。
室町時代に、観阿弥・世阿弥の手によって、神楽から出発した芸能がお能として大成されました。

その時代、今のように電気ってあったのでしょうか?

当然、電気はありません。

したがって、電気の照明設備はありません。
また、音についても、マイクとかアンプとかスピーカーとか、そのような音響設備なんかもありません。

下が池でない能舞台は、下が玉砂利です。白い玉砂利が敷いてあります。
白い玉砂利だと、光は反射するかもしれませんが、音は地面ですから吸収してしまいます。

これが池だと、光も音も反射するのです。

なので、下が池であるということは、光を水面で反射させて舞台の中に届ける当時としては最新の照明設備です。
また、水面は音も反射します。ですから、舞台の能楽師の声、謡の声、囃子方の笛や大鼓小鼓の音などを、意外に遠くまで届けることができるのです。

ですから、池の上にあるこの能舞台は、実は、本格的な造りなのです。
下に池をとるというのは、先人の優れた知恵の賜物です。

能楽師の方におうかがいすると、このような本格的なお舞台は、日本には三つぐらいしかないそうです。

シテ方五流とのご縁

お能を守り伝えている家は、五つ。
お能を大成した観阿弥・世阿弥の直系の観世家を始め、宝生、金剛、金春、喜多。
シテ方の五流と言います。

お能も、トップの方から下々の方までいらっしゃいますが、ここは、その五流のお家元、ご宗家が、来られます。
なかなかそのようなところはないんですよ。

今年の八月三日は、宝生流の宗家が来られます。能には狂言がつきものですが、狂言は、あの有名な方、・・・お分かりですね?
そうです。野村萬斎さんが見えます。
※年によって、ここのくだりは、変わります。

本来 自然の中で舞われていた

池には、鯉が250匹ぐらいいます。とても優雅に泳いでいるんですが、時々、ポチャッと跳ねるんですね。八月三日と言えば、夏の盛り。夕暮れになると、カラスがカーカー鳴いたり、セミ、ヒグラシがカナカナカナカナ、・・と鳴いています。

それで、これは、いつも不思議なんですが、「間が悪い」って言うことが起きないんですね。なぜ、ここで、鯉がポチャッと跳ねるのとか、どうして、カラスが鳴いちゃうの、興醒めだね、というようなことは、絶対にありません。

いつも舞台と周りの自然がひとつになるという体験です。

能楽師の方からは、「お能は、本来このような自然の中で演じられていたということが、実際に舞うとわかる。」とうかがいました。

国立の能楽堂では、建物の中に建物があって、おかしいですね。

ここは、全く自然の中。本来のかたちです。

能楽は無形文化遺産に登録されています

お能は、日本が世界に誇る精神伝統文化のひとつです。芸能です。

日本人であれば、是非、ここに来て、お能を見ていただきたい。
ここだからこそ、味わえる体験があります。それは既にお話したとおりです。
本当に素晴らしいですから。

なぜ身曾岐神社は能楽殿なのか

他の神社は、多くが神楽殿を備えています。なぜ、ここ身曾岐神社は、能楽殿なのか。

ここがこのような形で整ったのが、今から30年ほど前です。
つまりは、ここはまだ新しいところです。
皆さんのお近くの神社さんは、もっと古い。歴史がありますね。

ここは新しい神社ですが、神社というところは、心のよりどころです。
私たちがこの世からいなくなっても、日本人の心を伝えていかねばなりません。

日本の精神伝統文化、その中の芸能という分野で、身曾岐神社はどうするのか?

「うちは、神楽ではなくて、お能でそれをさせていただこう。お能は完成された芸術なのだから。」というのが現宮司の発想であり、その思いの結実です。

ご興味ご関心を持たれたならば、後ほど、連絡先を残してお帰りください。時節が参りましたら、ご案内を差し上げます。

では、次の場所で案内は最後となります。次の場所に移りましょう。